紀元前にはベルベル人が存在した。沿岸部にはカルタゴの植民都市が存在したが、ポエニ戦争を経てカルタゴは滅亡し、ベルベル人のヌミディア王国もユグルタ戦争やローマ内戦を経て、最終的にユリウス・カエサルの征服によってローマ共和国の属州となった。その後ゲルマン系ヴァンダル族の征服、東ローマ帝国の征服を経て、8世紀にウマイヤ朝などアラブ人イスラーム勢力が侵入し、イスラーム化した。イスラーム化と共に住民のアラブ化も進んだ。
イスラーム化した後もある程度の自治は保ち続けた。ムラービト朝、ムワッヒド朝の支配を経て1236年にトレムセンを都としたザイヤーン朝が成立した。1533年にはアルジェを根拠地とした海賊バルバロッサがオスマン帝国の宗主権を受け入れた。1550年にオスマン帝国がザイヤーン朝を滅ぼした。
しかし、1830年にフランスが進出し、アルジェを占領した。フランスによる征服に対してアブド・アルカーディルが激しく抵抗したが、1847年には全アルジェリアを支配した。アルジェリア北岸にはアルジェ県、オラン県、コンスタンティーヌ県が置かれ、これら三県はフランス本土と同等の扱いを受けた(フランス領アルジェリアを参照)。その後、第一次世界大戦後から独立運動が高まり、第二次世界大戦中にはアルジェにシャルル・ド・ゴールの自由フランスの本部が置かれた。1954年にはアルジェリア戦争が勃発、100万人に及ぶ死者を出した末1962年にアルジェリア民主人民共和国として独立を達成した。
1965年に軍事クーデタが起き、1989年に憲法が改正されるまで軍による独裁が続いた。1991年の選挙でイスラム原理主義政党のイスラム救国戦線が圧勝すると、直後の1992年1月に世俗主義を標榜した軍部によるクーデタが起き、選挙結果は事実上無効になった。これにより1992年以降イスラム原理主義過激派(武装イスラム集団など)によるテロが活発化し、国内情勢は不安定化した(アルジェリア内戦)。1990年代から2000年代初頭にかけて軍とイスラム原理主義組織の内戦により10万人以上の犠牲者が出た。近年国情は沈静化しつつあるものの、北部や東部では現在もイスラーム・マグリフ地域のアル=カーイダ組織によるテロが頻発し、犠牲者が多数出ている。




